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【10代、20代、30代前半の方向け】将来、何をするか、迷っている方へ。海外での勤務経験は、あなたを成長させてくれます。私の経験を語ります。(パート2/3)

2000年当時、中国での就労は、まさにブームだった

私が、留学する2001年の少し前から、少しづつ、中国へ留学する外国人が増えて

いった。各国様々な国の人間が行き交う生活など、私は予想だにしていませんでした。

だけど、専門学校を卒業した、2001年の3月には、「中国へ留学する!」って、

決めていたのです。

そう思わせてくれた、主な理由は、当時、同じ専門学校の先輩が、中国でいち早く

留学し、日系企業がたくさん中国に乗り出していると教えてくれたからです。

話を聞けば聞くほど、これは、大きなチャンスではないかと思えるようになりました。

私は、学生時代から、英語の成績だけは、常にクラスの五番以内に入っていたほど、

外国語の勉強が好きだったので、他の言語も、勉強することに、苦と感じたことは

ありませんでした。

だから、話を聞き、これから来るだろう、「中国ブーム」に乗っていかない手はない

と感じ、すぐ行動に移したのです。

留学までの半年間は、学校選びより、「環境」を重視した

私は、留学までの半年間、毎日のように、留学専門雑誌で、様々な学校を調べました。

その中で、自分が学校を選ぶ基準として、

  • 日本人が少ないこと
  • 学校が中心街にあること
  • 留学経験者の評判

でした。

そして、いくつか候補をあげ、選んだのが、「北京第二外語学院」でした。

だいたいの人は、「北京大学」だったり、「北京語言文化大学」だったりするのです

が、私は、そう言う日本人の多いところが、とても好きにはなれず、選んだのが、

日本人の比較的少ない学校だったのです。

せっかく、留学するので、「自分を追い込む必要」があると感じていました。

留学時代は、ずっと、外国人のルームメイトだった

計1年半、留学していた私ですが、ルームメイトと一緒に住んでいました。

そこで出会った、ルームメイトは、一学期毎に変わっていったのですが、全て、

外国人でした。

別に、自分から選んだわけではないのですが、それだけ、日本人より、外国人の割合

が多かったと言うことになります。

そう言う環境が、まさに私の求めていた環境であり、より、自分の中国語のレベル

アップを図ることができるようになったのです。

外国人との交流が多かったことで、より、世界観を広めてくれた

私は、留学時代、故意に日本人との交流を絶っていました。

どちらかと言うと、日本語を使わない日を過ごすことに、ある意味、快感さえも覚える

ようになってきたのです。

もしかしたら、私は、ずっと海外で働くことになるかもしれない。そうなったときに、

日本人ばかりの交流は、自分の人生に果たしてメリットがあるのかなと当時はそう

思っていたほどでした。

そして、中国には、アジアからのみならず、欧州、アメリカ、オーストラリアと、

様々な国の留学生がいて、毎日話をするたびに、たくさんの刺激を得ることができた

のです。

それによって、もっと海外で働きたいと言う気持ちが、強くなってきました。

留学生には、社会人の先輩もたくさんいた

もちろん、日本人との交流もありました。

当時、会社から派遣され、留学しにきていた社会人の先輩もたくさんいて、様々な

会社での話や、仕事の話を聞く機会もありました。

そこで、社会で働くことの厳しさや、これからの中国でのビジネスに対して、より深く

知ることができて、自分なりに、心構えができた時期でもあったと感じています。

留学一年を経過した頃、SARS(サーズ)が訪れようとしていた

さて、留学一年半を経過しようとしていた頃、SARSという言葉が、ちらほら聞かれる

ようになってきた。

そこで、外国人留学生も、「もうそろそろ、中国を離れた方が良いのでは?」という

話になり、同じ学校の日本人でさえも、半分以上、留学終了を待たずに帰っていった

人間もいたぐらいだった。

私は、きちんと満期で留学を終え、帰国することになっており、良いタイミングで

帰れたのだが、この騒ぎも一瞬で終わると思っていたので、落ち着くまでは、日本に

いながら、中国での就職活動を同時進行することにしたのです。

続く。。。